ヒュンタラーゼ脳室内注射液15mgの開発を振り返って

埼玉医科大学 ゲノム医療科 特任教授(前 国立成育医療研究センター 臨床検査部 統括部長)

奥山 虎之 先生

ヒュンタラーゼ脳室内注射液15mgの開発を振り返って

ヒュンタラーゼ脳室内注射液15mgは、ムコ多糖症Ⅱ型の中枢神経症状の改善を目的として、アジア発の治療法として開発されました。今回は、ヒュンタラーゼ脳室内注射液15mgの開発・導入に尽力された埼玉医科大学 ゲノム医療科 特任教授の奥山先生に、開発から承認までの経緯を振り返っていただきました。(2022年6月取材)。

アジア発。世界に先駆けた患者さんのためになる治療法の開発を目指して

ヒュンタラーゼ脳室内注射液15mgの臨床的な検討は、国立成育医療研究センター 小須賀基通先生と私が中心となり行ってきましたが、この治療法の開発の背景には、欧米とのドラッグ・ラグ(新薬承認の遅れ)に悩まされていたという実情がありました。
「日本発あるいはアジア発で、世界初の薬剤を開発しないとドラッグ・ラグは解消しない」という考えのもと、2013年に台湾のShaun Pei Lin先生、韓国のDong Kyu Jin先生、大阪市立大学(現 大阪公立大学)の(故)田中あけみ先生と私の4人でAsia Pacific MPS Networkを構築し、「アジア発で、世界に先駆けた本当に患者さんのために役立つ治療法を開発しよう」と話し合ったことから始まりました(図1)。

図1

酵素製剤を、脳内に直接投与するという試み

ムコ多糖症の中でⅡ型は、日本で患者さんが最も多い病型です。これまで、酵素製剤であるイデュルスルファーゼ静脈内投与が標準的治療として用いられており、ムコ多糖症Ⅱ型の諸症状の改善や進行の抑制に有効性が認められています。造血幹細胞移植も実施されていますが、効果はほぼ同様です。ただ、どちらの治療法も知的障害などの中枢神経症状の進行を抑制できないということが問題でした。
私は、この問題を何とか解決したいと思いました。静脈内に投与された酵素製剤は、血液脳関門のために、脳実質内に分布することはできません。血液脳関門によって脳内に移行しないのなら、酵素製剤を血管内ではなく直接脳室内に注入できれば、中枢神経症状の進行を抑制できるのではないかと考えました。以前から小児科では、麻疹の罹患後に発症する脳症(亜急性硬化性全脳炎:SSPE)に対して、Ommaya リザーバ*1を用いてインターフェロン製剤を、定期的に脳内に注入するという治療法が行われていたことも背景にありました。単純な発想で誰でも思いつく治療法とは思いますが、“きっと効かない、できない”と考える方が多かったはずです。

*1 Ommaya リザーバは頭皮下に外科的に設置し、脳内に挿入されるカテーテルに取り付けられ、カテーテルは脳室に導かれる。これを介して薬剤を脳内に直接投与することができる。

アジア発の治療法として、ヒュンタラーゼ脳室内注射液15mgが承認

韓国の製薬会社であるGCバイオファーマが、私たちの提案に興味を示し、治験薬(ヒュンタラーゼ)の製造に同意してくれました。前臨床試験を行ってくれたのはDong Kyu Jin先生のグループです。さらに、国立成育医療研究センターが臨床研究中核病院として大阪市立大学とともに、この医師主導治験に全面的に協力してくれたこともあり、3年間治験を継続することができました。その結果をまとめ、承認申請はクリニジェン社が行ってくれました。まさに、アジア発の治療法と言えるのではないでしょうか。
臨床試験の結果を(表1)に示しましたが、一定の有効性と安全性が認められ、2021年1月に承認を得ることができました。現在、脳室内投与を受けているムコ多糖症Ⅱ型の患者さんも増えつつあるようです。また、ヒュンタラーゼ脳室内注射液15mgの承認から2ヵ月遅れて、血液脳関門通過型酵素製剤が承認され、2021年は、日本発で世界初の2つの治療薬が世界に先駆けてわが国だけで承認されたという、日本のムコ多糖症治療における画期的な年となりました。
このような治療法が開発されたことで、ムコ多糖症Ⅱ型に対する酵素補充療法による治療がほぼ十分になってきたのではないかとも思っています。

臨床試験の結果

  • 6症例中5症例で、脳脊髄液 (CSF) 中のヘパラン硫酸 (HS) 濃度の有意な低下が見られた。
  • 3年間の治療により、3歳以前に脳室内投与を開始した3症例では、持続的な発達が認められた。
  • 3年間の治療により、 3歳以後に、脳室内投与を開始した3症例では、発達指数からみた発達の改善は明らかではなかったが、「検査に協力的になった」「落着きがでてきた」などの所見が見られた。
  • 本試験において脳内の細菌感染症を含めた重篤な有害事象は認められなかった。

表1

リザーバの設置について

脳室内投与のためのリザーバ(Ommaya リザーバ)留置は、脳神経外科の先生にお願いしましたが、皆さん大変興味を持っていただき、積極的に協力してくれました。また、脳室内投与について不安を持たれる患者さんのご家族もいらっしゃいましたが、Ommaya リザーバに関しては“以前から脳内に薬剤を注入するために使用されてきたもので、他のさまざまな疾患の治療に用いられている”ことをお話して安心してもらいました。さらに、頭皮下に埋め込まれることから、感染症の心配も少ないことを伝えました。

ヒュンタラーゼ脳室内注射液15mgの承認の背景と使用の実際

ヒュンタラーゼ脳室内注射液15mgの承認の背景として、①比較対照として、ヒストリカルコントロール群を設定したこと、②3年間という比較的長期間の治験を実施したこと、③治験を長期間実施したことで、安全性に関する信頼できるデータを蓄積できたこと、④治療薬を切望する患者さんと、目的を達成するためには一歩も引かない、ぶれない、強い意志をもった医師らがいたことが挙げられます。
現在ヒュンタラーゼ脳室内注射液15mgは、①既にイデュルスルファーゼ静脈内投与を行っており、中枢神経症状は若干進行しているものの、 全身麻酔が可能な患者さん、②新生児スクリーニング等で早期診断に至った低年齢者で、中枢神経症状が進行していない患者さん、③すでに造血幹細胞移植を行い、中枢神経症状の改善、進行抑制を期待する患者さんにおいて使用されています。今後は、この治療法を世界の患者さんに届けることも大切な仕事になってきます。

これからのムコ多糖症診療に期待すること

これからのムコ多糖症診療に期待することは、ハイリスクスクリーニングです。ムコ多糖症についての新生児スクリーニングは、国内の全ての新生児を対象として実施するにはまだ時間がかかります。ただ、患者さんをできるだけ早く発見し、早期に治療を開始することが重要なことに変わりありません。そのためには、ムコ多糖症を疑うきっかけとなる特徴的な症状のある患者さん、つまりハイリスクの患者さんを対象としたスクリーニングが必要であると考えています。
ハイリスクスクリーニングの方法として、中耳炎や蒙古斑、鼠径ヘルニア、アデノイドなどの症状のある患者さんで、とくにアデノイドや鼠径ヘルニアで手術したときにろ紙血を採取して、グリコサミノグリカンと酵素測定によりスクリーニングするシステムの構築があります。ハイリスクスクリーニングの浸透のためには、とくに小児外科や耳鼻科の先生方にもムコ多糖症の早期発見の意義をご理解いただきたいと思っています。例えば中耳炎のある子どもでは、背中も診て広範な蒙古斑が認められたらムコ多糖症を疑う、また中耳炎や蒙古斑、鼠径ヘルニア、アデノイドのうち2つの症状が認められたら疑っても良いかもしれません。今後は、小児外科学会や小児耳鼻科学会などでの、ムコ多糖症の早期発見のための啓発活動も積極的に行いたいと考えています。

表1、図1 奥山 虎之 先生 ご提供

取材ご協力

奥山 虎之 先生

埼玉医科大学 ゲノム医療科 特任教授
(前 国立成育医療研究センター 臨床検査部 統括部長)

1983年 3月 慶應義塾大学 医学部卒業
1988年 1月 慶應義塾大学 医学部 小児科 助手
1990年10月 セントルイス大学 分子生物学教室 ポストドクトラルフェロー
1995年 6月 国立小児病院(現国立成育医療研究センター) 小児科 医長
2002年 3月 国立成育医療センター 遺伝診療科 医長
2010年 4月 国立成育医療研究センター ライソゾーム病センター長を併任
2018年 6月 国立成育医療センター 臨床検査部 統括部長 
2022年 4月 埼玉医科大学 ゲノム医療科 特任教授, 現在に至る
(2022年10月現在)